常識シールをはがす。

自分に貼られた常識シールを剥がしたいです。

これは貼りたくて貼ったシールではありません。
世の中や、周囲や親や友達、そして自分。
ワタシの心や思考にべったりと貼られたシールです。
そしてそのシールの上からご丁寧にラミネートまでしてさらに剥がれないようにした自分がいます。 結局は自分が貼ってしまったシールなんですね。

そんな自分に貼られている常識シールというものを、気づいたことありませんか。
世の中進んだなぁとか。 私遅れてるなぁとかこのままでいいのかな。
という漠然とした不安があると思います。
これは何かと言うと、自分に貼られた常識シールを剥がした方がいいんじゃないかな、と気がついたサインだと思います。

前に Twitter で私は ホリエモンさんのことについてつぶやかせて頂いたことがあります。 ホリエモンさんの書籍、動画、目からウロコです。

私は YouTubeはあまり見たことがありませんでしたが、 ホリエモンさんがいかに常識と戦って生きてきたが、よくわかります。

「そりゃあれだけの有名人だから当然でしょ」という考え方も一つありますが それだけではなさそうです。

ホリエモンさんのすごいところは「その特別」と言われている能力は万民が有するべきものだ、という所にあると思います。
その能力は誰にでも所有することができる、ということです。

その昔、福沢諭吉は「学問のすすめ」という本を出版しました。
いまでは学問は特別な能力ではなく、万民が有するもので、常識になりましたが、当時はまだまだ貧乏な時代ですし、一般では「そんなもんいるか!」という考えは多かったようです。

当時は「特別」だと思われていたものは100年以上たって、新しい常識になった、ということです。
おそらくホリエモンさんの教えも、同じことなのでは?未来の常識になるのでは?と思います。

その「特別」な新しい能力や考え方ですが、実は私たちの話でもあったのです。 私はそんな風に捉えながら初めてホリエモンさんの動画を見ることになりました。
たとえば「情弱」という言葉がありますが、いまで言う「無学」と同じ意味になるかもしれません。

さて心と思考にべったりと貼られた常識シール。
このままじゃいけないなと思いながら日々を過ごしています。
ただ ホリエモンさんをはじめ、YouTube の動画を見ると、
なんとなくその自分の中にあった不安や疑問が具現化します。

そうか、企業に働くということはこういうことなのか。
なら私が転職した方がいいんじゃないか。
もしくは独立した方がいいんじゃないか。

例えばわかりやすい例がこういうとこだと思うんですが、一瞬ではあっても、
こう考えるだけで、私の常識シールの端は少しだけめくれているのです。
めくれるまでは難しくてもシールの端が少し浮いているような形になります。
すると「もしかしたらここから探せるかもしれない」という希望が見えてきます。
希望といってもまだ結果が良いかどうか決まっていないものなので、 可能性というレベルだとは思います。
ではその可能性を少し刺激してみることにします。
その今浮いているシールを少し触ってみます。
はい、うまくはがれません。

よくあるシール剥がし作業のように、 シールがブチッと切れてしまったり、むしろちょっと削れただけであまり変わらない。むしろ見た目がわるくなってしまったりします。
ああ、ここだ!と思ったのに駄目だったかと。

ただ彼らの YouTube や考えを聞いているとまた違うとこが見えてきます。
ほお、なるほど。今度はこっちから剥がしてみよう。
そうしていくうちに少しずつ常識シールが薄くなったり剥がれたりしていきます。 そうこうすると、こんな情報が入ってきます。

「シール剥がし というスプレーが売っているよ。これを振ると結構外れるよ。」
よし、そのシール剥がしを買おう!…と思っても迷ってなかなか手が出ません。
だってお金も時間もかかるから、迷います。
例えばそのシールはがしは動画かも、サロンかもしれませんし、彼らが書いた本かもしれません。

しばらく迷いますが、
「やっぱり、常識シールは剥がしたい!」

という気持ちが消えないので、そのシール剥がしを購入して使うことになります。
ただそんなに甘くはないので、スプレーを使っても一発ではシールは外れません。
だけど「思ったより常識シールは外れるんだな。多分時間がかかっても、はがすことはできそうだな。」という可能性を知ることができます。

結局自分でその常識シールを剥がせるか剥がせないかは自分次第ということにはなりますが、 確実に自分に貼られた常識シールを減らしていくことができると思います。
私はまだ道半ばで常識シールを剥がしきれていません。
多分、自分が思った以上に剥がれていないのかもしれません。
ただそんな少し剥がれた私の常識シール 剥がしたぶんだけ私を楽にしてくれました。
イメージで言うと1メートル四方の 常識シールがあったとして、
私はその 四隅の1cmをはがしたぐらいかもしれません。 まだまだですね。

それでも通気性が良くなったと言うか、自分の心にゆとりと安定をもたらしてくれます。
ここまで来れば、迷いは消え始めています。
もう剥がす事に努力するだけです。

みなさんおっしゃっています。「あとは行動」です。

私は常識というものを表現したくて、シールに例えています。
色々考えてきましたがこの例えが一番自分の中にしっくりきたもので
シール剥がしを例にご説明しました。

きっと私のように
このままでいいのかな
私は大丈夫だろうか

と心配な人々は同じ感覚があると思います。

色々ありますが、是非イメージの参考にしていただければ幸いです。
このイメージがお役に立つかは謎ですが、イメージ無いよりはいいかな。笑
お互い常識シールをはがせたらいいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。