断捨離とクレーム
くれこはクレーマーです。自己紹介はこちらです。
くれみすと。アラフィフのワーママ。現在は旦那さんと会社経営をしている。
20年来のクレーマー。大小あわせて延べ300件のクレームを企業に実施。
クレーム経験が人生に活かせることを知ってしまった人。
クレーム先業界は地方自治体、銀行、医療、教育、保険、旅館、飲食店、物販、メーカー、サービス業…と多数。
クレーム入門と検定を作るのが目標。
断捨離している方、多いですね。私もその一人です。
約一年のモノ減らしで、振り返ると持ち物は10分の1になりました。
およそ1200のアイテム(個人分のみ、家族分含まず)を所有していて、現在は120くらいまで減らしました。
減ったおかげで、さがしもの時間が激減しました。
なくしもの、忘れ物の類いは「ほぼゼロ」を達成しました。
モノ減らしの途中として、無くし物が無くなってよかった、という話です。
断捨離はライフワーク。現代病との戦いかもしれません。
自分のペースで頑張っていきたいものです。
今回の記事はこんな方、お読みください。
- 断捨離が進まなくなってきた
- 何を捨ててよいかわからなくなった
- 断捨離がんばったけど、リバウンドしだした
- 断捨離について違う角度でも考えてみたい
今回は20余年のクレーマーが考える「断捨離とクレーム」について。
断捨離がはかどらない大きな理由は向き合えてないこと、だとわかった
断捨離をしていると避けて通れない「向き合い」と遭遇します。
自分との向き合い
過去との向き合い
他者との向き合い
3つの向き合いですが、大事なのは「自分との向き合い」です。
あとの2つはそのおまけくらいのものです。
これらとの向き合いの結果がモノ減らしにつながるんだと思っています。
前置きが長くなりましたが、断捨離にもクレーム行動が役に立ちます。
「断捨離とクレーム」はなぜ関係するか、掘り下げていきたいと思います。
そのモノと自分の関係性を見つめる【クレーム思考】
クレーマーはクレームする前にまず、そのモノやサービスと向き合います。
ある企業に「私の買ったあなたの商品に問題があるかもしれません。」
と相談する以上、こちらにも責任があります。
間違いが少ないように、自分なりに深く振り返えり、考えることになります。
一体何が問題か、一般的にはどうか、色々考えたり調べたりします。
そうすると、これはなんで買ったんだっけ?
なんていう根本的な問題にたどり着きます。
買った理由はこんな感じでしょうか。
「やすかったから」
「急いでいたから」
「ちょうどこまっていたから」
「問題解決できそうだったから」
「CMやサイトが好感持てたから」
「よい口コミがあったから」
当然、理由はさまざまです。
もちろん振り返ると失敗にも向き合わなければいけません。
「ちっきしょう、完全にCMに騙された」
「口コミがやらせだったのか?」とか
苦々しい気持ちになることもしばしばです。
でも、これを「ま、いいか」と放置すると、クレームはできません。
この辺を向き合わずに感情でクレームする人はただのカスハラ(カスタマーハラスメント)です。
カスハラ族はクレーマーが一番嫌いな人種です。
断捨離でも同じことが言えそうです。
向き合わないと、放置してしまいます。
モノには感情をぶつけようがないので、放置です。
過去に向き合わないから放置、捨てたくないからモノは増える一方です。
モノ減らしからは遠ざかることになります。
炊飯器で例えてみたい
とつぜんですが、私はインスタントポット(電気圧力鍋)という調理家電が大好きです。
このブログにもいろいろ書いています。
過去記事はこちらです。
インスタントポットが好きすぎて深掘りしている変な人です。
私はクレーマーですが、インスタントポットには一度もクレームしたことはありません。
10,000円台で米も炊け、焼く、蒸す、煮る、と一台で幅広い活用法があり断捨離にはもってこい調理家電です。
インスタントポットは地味なトラブルは多いですが、いつもかんたんに回避できるからクレームしたことありません。
もっともっと良さを広めたいくらい、インスタントポットに感謝しています。
さて、本題に。
仮に、高額な60,000円くらいの炊飯器を買ったとします。
高いけど、美味しそうなご飯が炊けそうですね。
その宣伝文句が「古米でも美味しく炊けます」と書いてあった、とします。
さっそく購入して使ってみましたが、古米を炊いても「美味しくない」と思いました。
ここで分岐が発生します。
分岐A「古米だから、しかたないよね、期待しすぎちゃった」
と思ってあきらめる
分岐B「いや、メーカーが美味しく炊けると言ってるんだから、なにか方法があるはず」
と思い、ネットで情報収集する
分岐Aの人はあきらめがはやすぎますね。
分岐Bの人は「美味しく炊ける」という情報記事を見つけ、
その真似をしますが、うまく行かないとします。また分岐が発生します。
分岐C「うちのお米の種類がわるいのかな?」
と諦める
分岐D「いや、他の人ができてるということは、何か固有の問題があるはずだ。」
問い合わせを検討する。
売っている人にクレーム(相談)してもいいかもしれません。
固有の問題か、商品自体のレベルか、判断しなくてはなりません。
ここまで向き合って、はじめて「クレーム」と言う相談行為にたどりつきます。
頑張ってクレームした結果はいろいろあるでしょう。
- 操作方法を間違っていただけで解決した
- 初期不良による交換となった
- あまりにも誇大広告ということが分かり、返品や返金を要請した
それは相手と相談して決めることになります。
ケリをつけるために、相談することになるんです。
クレーム先は「向き合うべきモノの代弁者」となります。
クレームするとモノと対話できるようになる【モノの擬人化】
通常、モノと向き合うと、モノはなにも答えてくれません。
でも、クレームすると、売った人が代弁してくれるんです。
モノの擬人化です。
そのおかげとは、モノをどうするか、使うのか、返すのか、捨てるのか、判断しやすくなるんです。
これはかなりモノと向き合いやすくなります。
こんな話もあります。
アメリカのあるミニマリストは、モノが捨てられないとき、
「一人二役でモノと話し合ってみたらいい」とも言っています。
自分対モノの対話です。なるほど、と思いました。ミニマリズムは深いな、と思いました。
その書籍はこちらです。この本は本当に深い本で、断捨離うまくいかないときは必読です。
失礼しました、モノが増えますので、電子書籍のほうがいいですね。↓
さらにもういっちょ、断捨離、ミニマリズムの本は書籍よりオーディオブックを断然おすすめします。↓
聞きながら断捨離するのがベストです。AmazonのAudibleは聴き放題になりましたので、
一度おためししてみたほうが良いかもしれません。
そんなわけで、クレーム行為はモノとかなり向き合う必要があるんです。
モノ自体には意思も思考もないので、それを売った人を通じて向かい合うことができます。
そして自然にそのモノに最終判断を下す必要が出てくるんです。
捨てるのがベストなのはわかっているが
捨てるのがベストなのはわかっている、だけどその手前のプロセスで、くじけるんです。
断捨離にはいつも「必要か、必要じゃないか」が問われます。
でも冷静に考えてみてください。
いつでも自己解決出来る人には、断捨離なんて必要ないかもしれません。
自己解決できないから、家はモノだらけなんですね。
自己解決できない人だから、モノ減らしができないんです。
自己解決できない人は、
使っていないのに捨てられないモノの販売者に相談をしてみるといいです。
なぜ使えないか、なんで不便なのか、なにかの不満があるので使ってないからです。
ほんとうはいいモノかもしれません、あなたが知らないだけかもしれません。
そんなクレームきっかけでモノと向き合う機会ができるので、
モノ向き合った経験値が積み重なります。
クレーム(相談)は事前にもできる【断捨離の「断」】
クレームになれると、買う前に相談することもできるようになるんです。
これは断捨離でいうところの「断」と思いますが、余計なモノを入れづらくなっていきます。
クレーム(相談)で進む判断→断捨離「捨」
捨てるためには判断しなくてはいけません。
判断するための行動がクレームなので、判断にすすむ第一歩、になります。
クレーム(相談)で出る結果→断捨離の「離」
実はこれが最も重要と言っても過言ではありません。
理由は簡単です。
クレーマー的には「問題解決してくれなかったメーカーや企業のモノは利用しない」ということになります。
相談したのに解決してくれないモノを売る企業、もう信じなくていいですよね。
そこの商品やサービスはもういらないですよね。
クレームしたおかげで、未来永劫、選択肢が減るんです。
これはすごい効果で、未来の自分への大きな贈り物になるんです。
クレームして自分で価値を決める経験ができる
自分の価値基準なので、自分で好き勝手に決めていいんです。
自分を大事にするために断捨離しますし、クレームも自分ファーストですから。
くれこのクレームによる断捨離の「離」、実例はこちらです。
この場合はソフトバンクです。
ほんとにもうこりごりです。このグループはかなりのカスタマー泣かせです。
ソフトバンクに懲りたので楽天モバイルに乗り換えたクレーマーの話
まあそれはさておき、この例で言いますと、私にとってソフトバンクは「離」となりました。
おそらく未来永劫、ソフトバンクのサービスは使うことありません。
私の人生の選択肢に「ソフトバンク」という文字は消えました。
このさきソフトバンクのサービスを検討する必要がないんです。
小さく見えますが、選択肢が明確に消えるというのは、とてもメリットがあります。
断捨離も同じではないでしょうか。
たとえば、くれこは、台所スポンジをやめました。
おかげで、スポンジを検索したり、検討したり調べたり、メンテナンスをする必要がなくなりました。
とっても楽になりました。
考えてみたら台所にスポンジって要らないわね、という話
そんなわけで、モノを減らすプロセスの練習になるのが、クレームでしょうか。
くれこは元来、小心者で日和見主義で八方美人です。
そんな私ですらたまたまクレームできたから、モノやサービスと向き合うことができるようになりました。
クレームは断捨離の役に立ちました、ということです。
向き合うってそんなにかんたんじゃない、ということ
「まあいいや、で放置」で済むほど断捨離は甘くなかったです。笑
繰り返しですいませんが、モノや人と向き合うって、かんたんじゃないですよね。
まして断捨離は自分とも向き合わなければいけません。
モノと向き合わないとゴミ屋敷になってしまったり、
人と向き合わないと言いたいことも言えずに泣き寝入りしてしまったり。
健やかな状態から遠ざかってしまうんだと、くれみすとは思っています。
そんな「かんたんじゃない」向き合いの入り口として、クレームはわかりやすいです。
クレーム感覚を養えば、モノとの向き合い方は大きく変わります。
一見関係なさそうなクレームと断捨離ですが、実は意外と関係性がある、
ということで、みなさまの断捨離促進のきっかけになればこれ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。